誰にも話さない 営業嫌いの私が、58歳になって新たに営業を始めたワケ

私が営業嫌いなワケ。

私は車屋の社長ですが、営業は苦手で嫌いです。

理由は何十年やっても方法論が良く分からないからです。

ですから後進の指導も要領を得ない。

また、自分が苦手な事はライバルにとって有利な土俵とも言えます。

やり方が分からず、相手に有利な土俵で戦う理由は有りませんし、お客の奪い合いで泥試合になるのは絶対に嫌でした。

そんなところに経営資源は投入できないのです。

ですから全社的には、いわゆる営業活動で顧客を増やしたり、車を販売する事に注力してきませんでした。

今思えば相手は人なのですから、人と接する技術を磨けば良かった様に思います。

若いうちはそんなことも分からず、営業活動しなくても売れる方法は無いだろうかと常に探していました。

今でも追い求めているのは一言で言うと「お店の力」です。

それは建物とか内装とかの話ではなくて、平均点の高い社員の応対力や提案力だと言えます。

それでも苦手を克服したかった。

還暦も近くなった私には秘めた想いがありました。

それは自分自身が今まで跨いで通ってきた、営業への苦手意識に向き合い克服する事でした。

それが、たった一人で営業しなければならない新規事業を始めた隠れた理由です。

上手くいかなかったら何百万か損失が出る事も分っていました。

リスクのある苦手なところに敢えて自分を追い込んで、それから何とかすればいい。

きっと道は開けるはず。そうすれば苦手が克服できる。そう考えたのです。

いつものくるま屋神石高原町 山本自動車工業

この記事を書いた人

山本 宰士

山本 宰士

山本自動車工業株式会社 代表取締役

広島県神石高原町のくるま屋です。