今日は、6年前に53歳で亡くなった姉の7回忌法要。
晩年は肝炎から肝硬変を患いガンになりました。
勤めていたガソリンスタンドも辞めていました。
頑張り屋だった姉
健康で勤めていた頃は、持ち前のガッツと几帳面さで随分と会社に貢献したようです。
その実力は大したもので、ガソリンスタンドマンの全国大会で3位に入賞した程です。
姉のまりちゃんはとても頑張り屋だったのです。
姉を弔う
姉は一度結婚して子供もいます。
姉の葬儀とお墓への埋葬は私が引き受ける事にしました。
亡くなった当時の姉は、訳あって家族らしい家族はいなかったから。
また、自分より先に逝ってしまった娘が不憫でならない母の気持ちを汲み、共に悼み葬いたかったからです。
姉が死を予感した日
姉が息を引き取る日の朝、会社にいる私に母から電話がありました。
姉が私達にどうしても逢いたいと懇願していると病院から電話があったのです。
母は明日でも良いから連れて行ってくれと言うのですが、母の心情を察しその日の夕方見舞う事にしました。
病室に入るなりベッドでハグを求める姉を抱きしめました。
私元気になるかなぁ。
大丈夫よ。元気になるよ。
平静を装うやるせない会話でした。
最後の会話
まぁだ死にとうないぃ。
生きたいぃ。
互いにいつまでも平静を装える訳もなく、うっうっと言葉にならない嗚咽と一緒に、大きな涙をボロボロこぼす姉でした。
さいちゃんお母さんをたのむな。
分かった。心配せんでええよ。
その時が直ぐ目の前に迫っている事が分かっている姉と、そんな絶望を経験した事も無い私とのやるせない時間だった様に思う。
最後の時
姉が随分痛がるので、先生がモルヒネを打って下さった。
既に意識は無くなり小康状態が続く夜半過ぎ、仮眠室で休む私は、病室にいる母からの内線電話で、直ぐに姉の元に駆けつけました。
呼吸は虫の様でした。
ほんの暫くの後、
それまでとはうって変わり、大きな息を2、3度しました。
1度目の大きな息より2度目、2度目より3度目と段々と大きくなるのです。
3度目の息は吸いきったところで、ひゅうと言うような音を立てて止まりました。
次第に大きくなった息が、死への最後の抗いに見えました。
求めのままに応える
病院からの電話を知って直ぐに見舞った事が、死期を間近に感じて逢いたがってくれた姉の想いに、どれくらい報いる事が出来たのかは分からない。どれくらい嬉ばせてあげられたのかも分からない。
それでも躊躇わずあの日に行ってやれて良かった。
もし、見舞いを翌日にしていたら悔やんでも悔やみきれないところでした。
きっと私は目に見えない何かに救われたのだと思う。