最初の弱い子「ちびちゃん」と、もう一羽の弱い子とのお別れ 2020.6.4-6

書きたい訳では無いし、誰にでも読んで欲しい訳でも無いのですが、ちびちゃん達を忘れてやるのが可愛そうなので記録に残しておきます。


妻は摺り足の様な足音で、朝早く私の寝室にやって来ました。

小走りだったので、良い事か悪い事のどっちかだ。そう直感した私は不穏に構えていました。

妻は何を言うのだろうか。

「とうさん、ちびちゃん、いけんかった。(だめだったの意)」

言葉の意味を理解するのと同時に、妻の涙声でも良くない事だと直ぐに分かりました。

聴き終わるより先に跳ね起き、私の視線は妻の掌を探しました。

「やっぱりいけんかったんか」そう思うと溜息が出ました。

最初に生まれた弱い子は、妻の掌で昨日よりひと回り小さくなっている様に見えました。

妻の掌から受け取ると、小さくなっている事がもっと良く分かりました。

もう動く事はないのか。

「ゔゔゔゔ、ゔゔゔゔ、ゔゔゔゔ、」

重さなど殆ど感じない小さな身体が、とても哀れに思えて嗚咽しました。

「大きゅうしてやろうおもよったのに、」

食べないエサを食べさせ様としたのはつい昨晩の事です。あの時はまだ元気にイヤイヤしていました。

右の人差し指で何度も何度も頭や身体を撫でてやりました。

初めに比べるとだいぶ元気になっていたので、大丈夫だとも思っていました。

なんでこんな事になったのか。

湯たんぽが冷めて寒かったのか、いや、逆に暑くて脱水症状になったのか、昨日エサばかり食べさせずに水を飲ませれば良かったのかも知れない。

分からない。

ちびちゃんに申し訳無いことをしたと思いました。

ひとしきりして立ち上がりました。仕事に行く前に埋めてやるのです。

埋める場所は母キジの隣です。

残念な事にこの2日後にも1羽死んでしまいました。そのヒナの亡くなる前の晩の動画です。

息が小さく心配です。この子も今晩死んでしまうかも知れないと思いました。

今度は水も飲ませましたが、ちびちゃんと同じ様にその次の朝、亡くなっていました。

命ってなんだろうと考えました。

昨日までぴーぴー鳴いて動いていたのに。

何故亡くなると悲しいのだろう。愛情を注いでいたからか。愛情を注ぐとはどう言う事なのだろう。

大事にしていたモノが壊れてしまって残念なのとは明らかに違う。

なんでだろうと考えました。普段から信心深さや思慮に欠ける勉強不足の私には難解です。

生き物に本能と生理的欲求がある事くらいは分かる。生存しようとする本能や、生理的な欲求を満たしてやろうと、私達はエサを与えたり、寒く無いかと暖めたりする。

人が生き物の命を慈しむ心自体も本能で、こう言った生きものの生理的欲求や本能を満たしてやろうとする行為に現れるのだと感じました。

残ったのは8羽。そのうち1羽は脚がペローシスでテーピングした子です。指先は曲がったままで治りそうにありません。

ほかのヒナはとても活発で元気そうです。

プラケースから飛び出そうとピョンピョン飛び跳ねます。日増しに活発になって、懐くそぶりは微塵も有りません。

やはりキジは野鳥で、飼い慣らされる様な鳥では無いと感じています。こんな狭いところに閉じ込めず、早く野山に帰してやりたいと思います。

初めての日光浴

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この記事を書いた人

山本 宰士

山本 宰士

山本自動車工業株式会社 代表取締役

広島県神石高原町のくるま屋です。